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大阪地方裁判所 平成元年(ワ)4787号 判決 1992年11月30日

原告

岡野香

被告

住友海上火災保険株式会社

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、遠藤文春及び遠藤久子に対する当庁平成元年(ワ)第四七八七号損害賠償請求事件判決が確定したときは、原告に対し、金四五八〇万五三五〇円及びこれに対する昭和六一年六月二九日から同判決が確定するまで年五分の割合による金員並びにこれらに対する同判決確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自損事故を起こした自動車に同乗していた原告が、当該自動車の運転者を付保していた保険会社である被告に対して、保険約款に基づき保険金を直接請求した事件である。

一  争いのない事実

1  事故の発生

次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 日時 昭和六一年六月二八日午後一一時二〇分ころ

(二) 場所 大阪市東淀川区豊里七丁目一一番地先路上

(三) 車両 遠藤康孝(以下「康孝」という。)が運転していた普通貨物自動車(沖四四な七七二三号、以下「加害車」という。)

(四) 被害者 加害車に同乗していた原告

(五) 事故態様 康孝が加害車の運転を誤り、加害車を路外の電柱に激突させた。

2  保険契約の存在等

(一) 被告は、加害車について、次の内容の自家用自動車保険契約(PAP、以下「本件保険契約」という。)を結んでおり、同保険約款には、被害車が被告に対して直接保険金の請求ができる旨の規定があつた。

(1) 契約者 株式会社ユリヤ

(2) 契約日 昭和六〇年一二月二五日

(3) 契約期間 昭和六一年一月一日より一年間

(4) 対人保険金額 七〇〇〇万円

(二) 本件保険契約についての自家用自動車保険普通保険約款には、被保険者の業務に従事中の使用人及び被保険者の使用者の業務に従事中の他の使用人の生命または身体が対人事故により害された場合、それによつて被保険者が被る損害を被告は填補しない旨の条項(以下「本件免責条項」という。)がおかれていた。

3  本件事故当時の状況

康孝及び原告は、本件事故当時、株式会社ユリヤに勤務しており、本件事故は、その業務中に起こつたものである。

4  原告の受傷、治療経過

本件事故により、原告は、脳挫傷を負い、次のとおり一七七日間入院して治療を受けた。

(一) 昭和六一年六月二八日から同年一一月二一日まで茨木医誠会病院入院

(二) 同日から同年一二月二一日まで兵庫医科大学病院入院

5  損害の填補

原告は、本件事故による損害の填補として、合計一九二四万六一五五円の支払を受けた。

二  争点

1  本件免責条項の有効性

(一) 被告の主張

(1) 本件免責条項によれば、被保険者を株式会社ユリヤあるいは遠藤のいずれと解しても、被告は免責される。

(2) 本件免責条項は、労働者の業務上の事由による負傷・死亡等に対しては、労働者災害補償保険(以下「政府労災保険」という。)が適用されるため、分野調整上、自動車保険の填補対象から外し(保険免責)、労災保険あるいは労災責任の分野に委ねたものである(労災保険の上乗せとして、損害保険会社は、労働災害総合保険等を発売しており、これは広く一般企業に浸透普及している。)

また、さらに一歩進んで、使用者と使用人のなれ合いによる不当請求(モラル・リスク)を防止するためという趣旨、あるいは自動車が業務に使用される場合にはその運行に従事する使用人が被災する危険が一般に高いため、その危険を定型的に保険の対象から除外しようとする趣旨、企業内事故を保険者有責とした場合一般の保険契約者の保険料負担額が増加せざるを得ないことを考慮し、契約者間の公平負担をはかる趣旨等も指摘されているところであつて、本件免責条項は、強行法規や公序良俗に違反しないことはもちろん、特に不合理とされるものではなく、保険契約の内容を定めたものとして、当事者双方を拘束する効力を持つものである。

(3) 原告の主張は、ほとんど約款立法論に関する一私見の域を出ないものである。

(二) 原告の主張

(1) 自動車保険約款は極めて公共性の高いものであるから、存在理由について十分な合理性がなければ、無効と解するべきである。

(2) 本件免責条項が有効であるときは、原告は、政府労災保険からしか損害の填補を受けることができないが、同保険の給付内容は、損害のすべてに及ぶものではなく、慰謝料については填補されない等、現実の損害とのかい離が甚だしいものであり、労災保険が適用されるから自動車保険から外れたものとするだけでは、同条項の存在根拠としては不十分である。そして、民間保険会社による労働災害総合保険等の普及度は、自動車保険とは比べるべくもないのであり、労働災害総合保険等に加入していない場合には使用者あるいは加害者に直接請求しなければならないことになる。同僚であるということのみで不利に扱われるのは不合理である。

(3) また、自動車保険は、被保険者の負担すべき賠償責任を填補するものであるところ、同僚とはいえ別個の第三者であることに変わりなく、労災保険で填補されない損害については、被保険者が支払わなければならないため、被保険者は多大な経済的負担を負わなければならず、被保険者に資力がない場合には、被害者が泣き寝入りせざるを得ない状況に追い込まれることになる。自動車保険の社会的使命が契約者保護及び被害者救済にあることからすれば、これはまつたく不合理である。

(4) 保険の分野調整の方法は、免責制度によらずとも二重払いをしない方法もあるのであり、モラル・リスクについては、一般の場合と同様、請求の段階で判断し排除すればよい。これらを理由に本件免責条項を合理化することはできない。

(5) 自動車を業務に使用した場合、第三者が被災する確率より同僚が被災する確率が高いものとはいえないし、企業内事故であれば、労災保険等の給付により全額填補を免れる可能性は低い上、同僚間災害を免責とするのであれば個人より企業の方の保険料を安くしなければならないのであつて、契約者負担の公平も、本件免責条項を合理化する根拠にはならない。

(6) 現代社会においては、保険に対する社会的要請がますます大きなものとなつているのであり、その要請に応じ、免責条項の縮小化を随時検討すべきである。実際、農協共済においては、昭和五一年四月一日の改訂で同僚間災害の免責条項を削除している。

2  本件免責条項を主張することによる権利濫用の成否

(一) 原告の主張

本件においては、既に使用者である株式会社ゆりやは破産しており、賠償能力がまつたくない。また、加害車は株式会社ゆりやの所有であつたから、加害者である康孝個人は何らの自動車保険にも加入しておらず、支払われる保険金もない。そして、既に康孝も死亡しているから、その両親が多額の債務を負うべきことになり、同人らが資力を有していない場合、被害者である原告が肉体的精神的苦痛のみばかりか、経済的苦痛をも受容しなければならないこととなる。

現代社会における自動車の普及、交通事故の増加、それに伴う自動車保険の大幅な普及により、自動車保険の社会的使命は増大しているのであり、交通事故が起これば、保険により損害が填補されるという被害者及び被保険者の期待を裏切ることは許されないというべきである。

本件において、被告が、本件免責条項を援用することにより、原告及び康孝の両親の被る不利益を考えれば、被告が同条項を援用することは、権利の濫用というべきである。

(二) 被告の主張

(1) 保険制度は、危険を共通にする多数人が保険団体を構成し、保険料を拠出して共同的に備蓄し、危険の分散をはかる技術的制度であるから、備蓄される保険料総額と事故発生の際に支払われる保険金総額とは、総額的に過不足なく均衡が保たれなければならず(給付・反対給付均衡の原則)、保険者は、保険団体の仲介者たる地位にあつて、共通準備財産を管理し、需要充足のための具体的事務を担当するものであるから、保険者は、総額的均衡作用を全うせしめるべき強度の社会的・公共的責務を負担している。

本件においては、企業内事故における賠償責任は、自動車保険の対象とはされておらず、自動車保険料率算定の基礎には織り込まれていないから、本件事故に対して保険填補するときは、拠出金の算入なき共通準備財産から、他の加入者の負担において対象外の保険給付を行うこととなり、給付・反対給付均衡の原則は破れて、保険団体は危殆に陥れられることになる。

被告が、本件免責条項の適用を主張することは、単に保険約款上の権利たるに留まらず、保険者としての社会公共的責務に基づくものである。その主張の放棄は、自動車保険制度の根幹を揺るがす重大問題といわざるをえない。

(2) 本件事故においては、労災保険に基づき基本補償はなされている上に、康孝の両親からの賠償もまつたく期待しえない状況にはない。

また、原告は、事故が起こつた場合に生ずる保険により填補される期待を主張するが、保険により填補されるべき損害は、保険約款所定の一定範囲に限られるのであつて、それは、保険者・保険契約者間の約束ごとである。

(3) 以上のとおり、本件免責条項の主張をもつて、社会通念上正当とされる範囲を逸脱するものとする余地はなく、原告の主張はおよそ理由がない。

3  後遺障害の程度

原告は、本件事故による受傷の治療のため、さらに昭和六二年一月八日から平成二年一月三一日まで玉律リハビリセンター附属中央病院に通院し、同日症状固定し、自賠法施行令別表第七級四号に該当する後遺障害を残した旨主張している。

4  損害額

原告は、本件事故により次の損害が生じたものと主張している。

(一) 入院雑費 五〇万四〇〇〇円

五〇四日間の入院期間中、一日当たり一〇〇〇円の割合で雑費が必要であつた。

(二) 休業損害 一〇二八万七〇九〇円

原告は本件事故当時、株式会社ユリヤに勤務し、昭和六一年四月から同年六月の間に七一万七七〇四円の給与を得ていた。しかるに、本件事故による受傷のため、昭和六一年七月から平成二年一月までの四三か月間にわたり、まつたく収入を得ることができなかつたから、この間の休業損害は一〇二八万七〇九〇円となる。

(三) 後遺障害による逸失利益 三六二六万四一五円

原告は、昭和三九年三月六日生であり、六七歳まで就労可能であるところ、本件事故による後遺障害のため、労働能力の五〇パーセントを喪失したから、これによる逸失利益をホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息控除をして算出すると、三六二六万四一五円となる。

(四) 慰謝料

(1) 入通院慰謝料 四〇〇万円

(2) 後遺障害慰謝料 一〇〇〇万円

(五) 弁護士費用 四〇〇万円

5  過失相殺

原告が、同じく同乗者の岸上某とともに、歌謡曲を大声で歌つたり、康孝に話しかけたりしたため、康孝が運転に集中できず、わき見運転をすることとなり、その結果、本件事故を惹起することとなつたので、原告には康孝の運転操作を妨害してはならない注意義務を怠つた過失があるから、過失相殺を行うべきである旨、被告は主張する。

第三争点に対する判断

一  いわゆる同僚間事故による免責条項の有効性

(一)  康孝及び原告は、本件事故当時、株式会社ユリヤに勤務しており、本件事故は、その業務中に起こつたものであり、かつ、本件保険契約についての普通保険約款中、本件免責条項がおかれていたことは、前記のとおり、当事者間に争いがない。

(二)  そして、本件免責条項は、その規定内容に鑑み、自動車が業務に使用される場合、その運行によつて当該業務に従事する使用人が被災することは、企業内における労働災害としての性質を帯び、労災責任ないし労働災害保険の分野にも属するものと考えられるところ、自動車保険の分野と労働災害保険の分野を調整するため、右の性質に注目して、これを自動車保険の対象から除外し、このような企業内事故を労災責任ないし労災保険の分野に委ねた趣旨であると考えることができ、かかるものとして合理性を認めることができる(この点についての原告の主張は、結局のところ、政府労災保険の適用を受け得るのみの場合の被害者の経済的利益を述べるか、保険構成上の一つの選択肢を主張するものというべきところ、後者については、原告主張の選択肢が必ずしも絶対のものとは考えられず、本件免責条項を不合理なものとする根拠にはなり得ない。また、前者の点についても、政府労災保険は、労働災害補償保険法に基づき、労働災害に対して迅速かつ公正な保護をするため必要な保険給付を行う[同法一条]ことを目的とし、その目的に沿つた給付をなしているものであるから、その給付内容は相当程度のものを一応備えているものということができ、その給付内容自体から、本件免責条項の不合理性を認めることはできないものというべきである。)。

(三)  したがつて、被保険者康孝との関係で、原告が被保険者の使用者の業務に従事中の他の使用人に当たることは明らかであるから、被告は、本件免責条項に基づき、填補責任を免れるものというべきである。

二  同僚間免責条項を主張することによる権利濫用の成否甲第一〇号証によれば、株式会社ゆりやが昭和六二年一二月七日破産宣告を受けたことが認められるが、弁論の全趣旨によれば、原告は、政府労災保険から障害補償給付金等の給付を受け、将来的にも、障害補償年金を受け得るものと認めることができるものであるから、政府労災保険の給付内容について前記記載のとおりに評価する立場からすれば、被告の本件免責条項援用が権利濫用を構成するものと認めることはできない(そして、原告に関する事情を基に右のように判断する以上、原告主張の、原告とは直接関係ない康孝の両親の不利益のみで、別異の結論が導かれるものではない。)。

第四結論

よつて、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求には理由がないから、これを棄却する。

(裁判官 林泰民 大沼洋一 小海隆則)

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